障害個性論についての考え
私は、この障害は個性だという解釈は賛成とも言いがたいし、反対とも言いがたいが今の時点では反対の気持ちのほうが強いです。障害者白書に書いてあるように、頭がいい人がいれば悪い人もいる。だから、障害を持っている人がいれば、もっていない人もいる。というような解釈をすれば確かに人それぞれ個性があって、みな同じではないのだから障害があるからといって偏見や差別をするというのは間違っていると思う。しかし、頭が良い悪いなどは、世の中に生きていく中でなんの問題もないと思うが、障害というのは、持っている人とない人では世の中の生き方自体が全く変わってきてしまう。例えば日常生活をする中でも介助が必要だったり、介助がないと食べたりトイレに行ったりすることができない。健常者は、いつでも自由に外に出て歩いたり、食事に行ったりできるけど、障害者は、介助なしでは何もできない。これは、個性とは言いがたいような気が私はするのです。
障害があるといっても、人それぞれ障害の度合いが違います。中には一人で日常生活動作ぐらいはできる人もいると思います。しかし、電車などの公共交通機関に介助なしでは乗れなかったり、車の免許が取れなかったりします。やはり健常者と比べるとハンディキャップを背負って生きていると私は思います。ハンディキャップを持っているとは思うが、やはり障害があるからといって、偏見や差別をするのは間違っていると思います。個性というのは良いところもあれば悪いところもある。だから、障害者の人たちにも介助が必要という悪い部分ばかり見るのではなく、良い部分の個性を見つけてやることが、ハンディキャップを持っているというレッテルを払い除けることだと思います。
社会に出たときも、障害者は、ほぼ数パーセントの採用率で、ほとんどの人が授産施設などで安い賃金で働いている。この事からまだ差別や偏見があることが言える。しかし、健常者の人でも得意な仕事と不得意な仕事があると思う。私なら、機械を作ったり扱ったりすることは、はっきり言って嫌いだしできないと思う。もしも、私がそういったところで仕事をするとしたら、足手まといになるのは間違いないだろう。このように健常者も障害者も得意不得意の仕事がある。だから、障害者の人も、健常者と一緒の職場で働くことが可能だと思います。
ノーマライゼーションの理念は、今の日本にはまだ完全には実行されていないと思う。確かにいろんなところで障害者が健常者と一緒に暮らしていけるようなバリアフリーができてきたが、まだまだ未完成だと思います。例えば、電車やバスは、障害者などの車椅子に乗っている人でも乗ることができるが、電車は一部にだけしか車両がないし、バスではたくさんのスペースを取ってしまい、乗れる人数が減ってしまう。そうなると、障害者の方も嫌で申し訳ない思いになるし、健常者の方も、正直、邪魔だなと思うでしょう。障害者が健常者と同じように暮らしていくというノーマライゼーションの思想は、これでは成り立っていないと思うのです。これからもっとバリアフリーが充実して、いつかは、障害者も健常者と同じような暮らしができるようになれば、偏見や差別がなくなると思います。それに、皆が障害は個性だと思えるようになると思います。
今の日本は、まだまだ障害者が安心して暮らせるような環境にはなっていない。だから、障害者白書に書いてある、障害は個性だ。という意見に賛成と反対の人がまばらにいるのだと思います。私は最初に、どちらとも言いがたいと言っていたが、正直なところ今の時点では、その考えは
障害個性論についての考え
私は、この障害は個性だという解釈は賛成とも言いがたいし、反対とも言いがたいが今の時点では反対の気持ちのほうが強いです。障害者白書に書いてあるように、頭がいい人がいれば悪い人もいる。だから、障害を持っている人がいれば、もっていない人もいる。というような解釈をすれば確かに人それぞれ個性があって、みな同じではないのだから障害があるからといって偏見や差別をするというのは間違っていると思う。しかし、頭が良い悪いなどは、世の中に生きていく中でなんの問題もないと思うが、障害というのは、持っている人とない人では世の中の生き方自体が全く変わってきてしまう。例えば日常生活をする中でも介助が必要だったり、介助がないと食べたりトイレに行ったりすることができない。健常者は、いつでも自由に外に出て歩いたり、食事に行ったりできるけど、障害者は、介助なしでは何もできない。これは、個性とは言いがたいような気が私はするのです。
障害があるといっても、人それぞれ障害の度合いが違います。中には一人で日常生活動作ぐらいはできる人もいると思います。しかし、電車などの公共交通機関に介助なしでは乗れなか...