私が考える合理性

閲覧数1,480
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    あとで見直してみると論旨がぐちゃぐちゃになっていたのでチョイ整理。
    論旨1、自由放任の過度な期待は間違っている
    論旨2、人は完全に合理的ではない。myopicな行動は決して合理的ではない。
    現代経済学、特に新古典派や合理的期待仮説派では自然状態がもっとも天国な状態であると考えている。彼らの前提の中に、「人々は完全に合理的な行動をする」がある。つまり、私も彼もIQ300な訳で、みんながみんなお互いの手の内を知り尽くしている状態であるので格別儲けることもできなければ、消費するときに最適な競争環境なため非常に消費者にとっては居心地がよい状態である。(この理解は間違っているかも・・・w)
    リバタリアン(すべての法規制をできるだけ取り払い、政治的にも経済的にもほぼ完全な自由を主張する主義)なんかはもっとラディカルで、公共事業や公務員の介入も拒否し、自分達ですべて行う。こうすればダメ企業は淘汰され、官僚の腐敗もなくなると。
    しかし、人間そんなに合理的なんだろうか。すべての人間がIQ300の完全合理的な人間で占められているわけではない。むしろ、非合理な人間や、限定的に合理的な人間が実際なのではないだろうか。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    私が考える合理性3
    あとで見直してみると論旨がぐちゃぐちゃになっていたのでチョイ整理。 論旨1、自由放任の過度な期待は間違っている 論旨2、人は完全に合理的ではない。myopicな行動は決して合理的ではない。 現代経済学、特に新古典派や合理的期待仮説派では自然状態がもっとも天国な状態であると考えている。彼らの前提の中に、「人々は完全に合理的な行動をする」がある。つまり、私も彼もIQ300な訳で、みんながみんなお互いの手の内を知り尽くしている状態であるので格別儲けることもできなければ、消費するときに最適な競争環境なため非常に消費者にとっては居心地がよい状態である。(この理解は間違っているかも・・・w) リバタリアン(すべての法規制をできるだけ取り払い、政治的にも経済的にもほぼ完全な自由を主張する主義)なんかはもっとラディカルで、公共事業や公務員の介入も拒否し、自分達ですべて行う。こうすればダメ企業は淘汰され、官僚の腐敗もなくなると。 しかし、人間そんなに合理的なんだろうか。すべての人間がIQ300の完全合理的な人間で占められているわけではない。むしろ、非合理な人間や、限定的に合理的な人間...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。