日本の歴史の中で女性が集中的に天皇の位についた時代がある。6世紀の終わり飛鳥時代から、奈良時代中期までの二百年の間で、推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)の八代六人を数える。
これは女性の社会的地位が高く皇位継承にも男と同等の権利を持っていたというのではなく、生産から遊離してしまった上層階級では女性の地位は崩れ行きつつあり、政略の犠牲となることも少なくなかった。
この時代に相次いだ女帝を見てみると、彼女らは元来皇后や妃であったのが特徴で、夫である天皇の崩御後、皇位継承候補者間やそれに結びつく豪族間の勢力を中和させる必要がある場合、あるいは男系の皇位継承者が幼少その他すぐに即位できない場合などに、いわば中和中継的に即位するのが通例であった。そしてその下で例えば推古朝では聖徳太子が、皇極朝では中大兄皇子が、それぞれ摂政や皇太子という自由な立場で革新的な改革を推し進めた。
女帝の意義
日本の歴史の中で女性が集中的に天皇の位についた時代がある。6世紀の終わり飛鳥時代から、奈良時代中期までの二百年の間で、推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)の八代六人を数える。
これは女性の社会的地位が高く皇位継承にも男と同等の権利を持っていたというのではなく、生産から遊離してしまった上層階級では女性の地位は崩れ行きつつあり、政略の犠牲となることも少なくなかった。
この時代に相次いだ女帝を見てみると、彼女らは元来皇后や妃であったのが特徴で、夫である天皇の崩御後、皇位継承候補者間やそれに結びつく豪族間の勢力を中和させる必要がある場合、あるいは男系の皇位継承者が幼少その他す...