地理学という学問分野は、歴史上、男性によって支配され続けてきた。つまり、男性のみが研究主体となり、同時に研究対象となってきたということである。地理学を考えること、すなわち地理学の範囲内で地理学に容認されうる地理学的知を創造するために考えることとは、男性主義的な主体としての立場を占めることである。地理学はマスキュリニストだ。すなわち「徹底性を主張しながらも女性の存在を忘れ、男性の立場においてのみ研究をしているもの」である。この定義は、研究の視点に女性に不利益を及ぼすような部分性があることを強調するだけでなく、むしろ積極的に「女性の存在や関与」が削除されていることに焦点をあてている。
フェミニストの研究では、アイデンティティとは関係性であるという前提に基づいている。誰もが自分は誰か他人とは違う、もしくは、似ているという方向づけをして自分を確立しようとするものだ。私たちは、自分自身を他者との関係において位置づけるのである。逆に言えば、自己は、自分自身を定位するために他者を必要とする。たとえば、合理主義によってその定義にひとつがなされる男性性にとって、他者は非合理的なものとしてみなされなければならず、非合理性は女性性と結び付けられることになる。このようにアイデンティティは誤解、誤認、幻想、不安定さや矛盾で満たされており、これらを通じて形成される。つまり、私たちは他者を完全に、もしくは正確には認識していないのである。さらにフェミニストたちは、アイデンティティが権力の関係を通じて形成されると主張する。ジェンダーを男性性と女性性という関係性として構築し、一つのジェンダーを女性性よりすぐれた男性性というように、片方をもう一方より優れているとみなす。他にも、人種や階級なども権力関係の例として挙げられる。
「地理学とジェンダー」
地理学という学問分野は、歴史上、男性によって支配され続けてきた。つまり、男性のみが研究主体となり、同時に研究対象となってきたということである。地理学を考えること、すなわち地理学の範囲内で地理学に容認されうる地理学的知を創造するために考えることとは、男性主義的な主体としての立場を占めることである。地理学はマスキュリニストだ。すなわち「徹底性を主張しながらも女性の存在を忘れ、男性の立場においてのみ研究をしているもの」である。この定義は、研究の視点に女性に不利益を及ぼすような部分性があることを強調するだけでなく、むしろ積極的に「女性の存在や関与」が削除されていることに焦点をあてている。
フェミニストの研究では、アイデンティティとは関係性であるという前提に基づいている。誰もが自分は誰か他人とは違う、もしくは、似ているという方向づけをして自分を確立しようとするものだ。私たちは、自分自身を他者との関係において位置づけるのである。逆に言えば、自己は、自分自身を定位するために他者を必要とする。たとえば、合理主義によってその定義にひとつがなされる男性性にとって、他者は非合理的なも...