ジェンダー福祉論レポート

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    ジェンダー福祉論 レポート課題

    「原始・古代の男女の分業はどのように行われていたのか、また、男女の地位の差が生じたのは何が原因か、A4の用紙1~2枚程度にまとめなさい」

    資料の原本内容

    ジェンダー福祉論 レポート課題
    「原始・古代の男女の分業はどのように行われていたのか、また、男女の地位の差が生じたのは何が原因か、A4の用紙1~2枚程度にまとめなさい」
    <原始・古代の男女の分業はどのように行われていたのか?>
     大昔の人々は、狩りと植物や食物の採集で暮らし、特に狩りが大切だった。大昔の人々は狩人―狩猟採集民族―だった、という見方が常識であった。そのため、大昔も男が狩りをし、女が木の実などの植物を集めていたのだろうと推測されていた。この予測は大づかみには今も正しいだろう。

     ただし、小動物や動物の仔を男がとらえると「狩り」、女がとらえると「採集」と記録する。女が追い、男が仕留める狩りを、男の狩りとだけ記録する。狩りの獲物がない時は、男も植物などの食糧を持ち帰るけれども記録しない。などなど。男研究者による観察記録や、男研究者が男だけの情報提供者からの情報にもとづいてまとめた民族誌の記載には偏りがあり、女が狩りすることも男が集めることも、もっとたくさんあるのだ。大昔の採集狩猟社会の男の役割―地位を男研究者が過大にみてきた、と欧米の女研究者が批判し、むしろ男女は対等に暮らしてきた、という考え方がだんだん強まってきた。

     例えば、400年前のアイヌの人々は、狩りや採集には男女が協力しあったことが認められ、また、女の一年中の仕事として薪集めが大切だったと考えられている。

     世界の民族の例や歴史資料は、ロクロを使わなければ女が、使えれば男が土器・陶器を作っていたことを示している。ロクロ上で粘土の塊から器を挽き出す力の差にもとづくものではないかと考えられている。だから、基本的に、縄文・弥生土器や土師器は女が、須恵器は男が作った可能性が大きいとされている。近畿の縄文土器の内面には、華奢な爪痕がたくさん残っている。大阪湾沿岸の弥生土器には、男の手が入らない細首の壺の内面にも、櫛描き紋様をつける右手の動きを受けた左手の跡が残っている。ともに、女の作の証と考えられている。
    <男女の地位の差が生じた原因>
     弥生時代になると、広範な戦争の時代に突入した。戦争によって、死の危険は女性にも及んだが、戦争による死者や傷を受けたのは、男性のほうが格段に多い。戦争の始まりは、一方では兵士に適した男性が女性より優位となる動きを生み出した。他方では戦闘を指揮する個人やリーダー達が集団の中で特別の社会的地位を持ち、その権威を強めることになる。戦争は集落間の戦いから始まり、地域間の戦争へ、そして、地方間の戦争へと広がっていく。

    集団を代表し、集団の成員から卓越した首長が生まれる。彼らが死ぬと、大きな墓・大きな甕棺などの棺に葬り、中国渡来の鏡などの宝器・腕輪や玉とともに、銅製のちには鉄製の武器をそえるようになる(副葬)。王墓や首長墓の出現であり、その被葬者の多くは男性である。しかし、集団の長は必ずしも男性だけでなく、武器を副葬する女性小首長もいた。男性首長の権限が強化された時代であるが、まだ女性首長も各地に少なからずいたことが知られている。

     大王から民衆まで、いくつかのランクが形成され、直接、戦闘に参加するかどうかは別にして、軍事装備や軍事の力を背景にして、相手を圧倒するような仕組みが作られると、女性は男性より劣った地位になっていく。

     日本列島に人類が姿を現してから少なくとも十万年以上たっているが、戦争のある時代はわずか二五00年にも満たない。戦争の始まりは、女性に戦闘の直接の被害を与えただけでなく、男性より劣った地位になるという大きな変化を生み出したといえる。変化は一様でなく女性首長も存在したが、多くは男性優位の社会になっていった。

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