不定期刑について 不定期刑とは、一般に裁判所において自由刑の期間を確定することなく、服役中の受刑者の改善の程度に応じて、裁判所または行政機関が釈放の時期を決定するものである。従って、行刑の成績が悪ければ拘禁期間が伸長され、反対に行刑成績が良い場合には拘禁期間が短縮されるところに不定期刑の特色があるといえる。
この不定期刑には、全く期間の定めのない絶対的不定期刑と短期と長期の定めのある相対的不定期刑があるが、犯罪者が改善しない間は無制限に拘禁を継続し、改善すればすぐにでも釈放することが不定期刑の本来の目的であることを考えると、最も理想的な不定期刑の形態は、期間の定めのない絶対的不定期刑であるということになる。しかし、この絶対的不定期刑は人権保障の点から問題があり、罪刑法定主義にも反するとされているところから、今日では支持されていない。
不定期刑を巡る論争は、戦前と戦後において、その様相を異にしており、戦前においては、主として新派刑法学に属する者が、行為者責任と教育刑を中核とする文化国思想に基づいて不定期刑の必要性を主張したのに対して、旧派は、行為責任と応報刑を中核とする法治国思想に基礎をおいて不定期刑を拒否する立場に立った。
不定期刑を採用することの是非は、現在においては新派か旧派といった刑法理論上の立場の相違によるのではなく、専ら保安を重視するか改善を重視するかの違いから来るもので、不定期刑を採用するためには、責任主義をどう理解するかという理論が煮詰められていることを認識する必要がある。
従って、旧派の立場に立つ者が不定期刑を正当化する場合には、①人格責任論を出発点として、責任と刑罰の動的性格を強調し、人格責任に応じる刑罰は動的なものでなければならないとする見地から不定期刑を正当化するもの、②「幅の理論」を用いて、責任には幅があり、そのような幅を持った責任に相応する範囲内で、保安・改善目的に必要な不定期刑を科すことは責任主義に反しないとするもの、③行為責任と行為者責任の統合を説く実質的責任論の立場からすれば、行為責任から著しく離れない限度において、行為者の危険性をも考慮した不定期刑を求めるべきである等、一定の理論的操作が行われている。
このように、不定期刑制度を採用するに際しては責任主義の立場からする種々の問題がみられる。
現在、我が国において不定期刑が採用されているのは少年法に対してだけであり、少年法52条によれば、少年に対する処断刑の上限が3年以上の有期自由刑(懲役・禁錮)である場合には、その処断刑の範囲において、刑の長期と短期を定めて不定期刑を言い渡すべきものとされている。
そして、この場合、宣告刑として言渡される不定期刑は、短期は5年を超えることはできず長期は10年を越えることができない。従って、少年に対する不定期刑で最も重いのは、短期5年、長期10年の不定期刑である。
この場合の短期と長期の意味合いが、刑法の責任主義の原則から、短期が責任の限度であるのか長期が責任の限度であるのかについて争いがある。
短期説は、短期が責任刑で、長期は特別予防の必要によって定まるとし、長期説は、責任に基づいて長期を定め、短期は少年に希望を持たせ努力次第で早期に釈放される可能性を示すものとして定められているものである。また、中間説は、不定期刑の本質は予め短期か長期に重点を置くのではなく、両者を照らし合わせた1つの統一した刑罰であるところにあり、いわば、特別予防的な観点から上下両方に一定の幅を持たせたものである。 短期説を採ると、刑法の責任主義の見地から
不定期刑について 不定期刑とは、一般に裁判所において自由刑の期間を確定することなく、服役中の受刑者の改善の程度に応じて、裁判所または行政機関が釈放の時期を決定するものである。従って、行刑の成績が悪ければ拘禁期間が伸長され、反対に行刑成績が良い場合には拘禁期間が短縮されるところに不定期刑の特色があるといえる。
この不定期刑には、全く期間の定めのない絶対的不定期刑と短期と長期の定めのある相対的不定期刑があるが、犯罪者が改善しない間は無制限に拘禁を継続し、改善すればすぐにでも釈放することが不定期刑の本来の目的であることを考えると、最も理想的な不定期刑の形態は、期間の定めのない絶対的不定期刑であるということになる。しかし、この絶対的不定期刑は人権保障の点から問題があり、罪刑法定主義にも反するとされているところから、今日では支持されていない。
不定期刑を巡る論争は、戦前と戦後において、その様相を異にしており、戦前においては、主として新派刑法学に属する者が、行為者責任と教育刑を中核とする文化国思想に基づいて不定期刑の必要性を主張したのに対して、旧派は、行為責任と応報刑を中核とする法治国思想に基礎...