北区出土の須恵器

閲覧数1,741
ダウンロード数2
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    ?:調査の目的
    北区内の遺跡(麻生遺跡等)から出土した約1,200〜1,300年前の土器の中には、北海道特有の土器である擦文土器の他に須恵器も出土した。
    須恵器は、ロクロを使い山の斜面を利用して作った窯で、高温度で焼き上げる高度な土器であり本州でしか作られていなかった。
    交通機関の発達のしていない時代にどのように須恵器が北海道に上陸したのか。
    そして、当時の本州との結びつきはどうであったか探求する。

    ?:調査の方法
     須恵器の製作された窯が存在した地域を調べる。また、その地域と北海道との交易についてインターネット上の資料や文献等を基に調査する。

    ?:調査の結果
     もともと須恵器は、約1,400年前に朝鮮から伝わった焼き物であり急速に日本全土に普及した。北海道に近いエリアでは、北東北地方の須恵器の窯跡として青森県津軽平野の岩木川流域に五所川原窯跡群があり、その中の前田野目窯跡で出土した須恵器と同様のものが、松前市・小樽市・恵庭市・苫前町・常呂町でも出土されている。
    これらより、北区内で出土された須恵器も東北地方北部で製作されたものではないだろうか。
    では、どうやって津軽海峡を越えたのか・・・ということになる。
    津軽海峡は、俗に「しょっぱい海」という表現をされる。
    海ではなく川・・・なぜか?
    それは、海のように途方もない距離ではなく、非常に行きやすいものとして、川という表現がされたのではないかと思われる。
    要するに、向こう岸の見えない海ではなく、向こう岸の見える一番距離の短いところでせいぜい20KMほどの「しょっぱい川」を渡ることにより東北と北海道の間で交易や文化の交流がなされていたようである。
     そのため、北区における須恵器の出土だけではなく、青森県の縄文時代の遺跡からは北海道産の黒曜石が多数発見されている。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    Ⅰ:調査の目的
    北区内の遺跡(麻生遺跡等)から出土した約1,200~1,300年前の土器の中には、北海道特有の土器である擦文土器の他に須恵器も出土した。
    須恵器は、ロクロを使い山の斜面を利用して作った窯で、高温度で焼き上げる高度な土器であり本州でしか作られていなかった。
    交通機関の発達のしていない時代にどのように須恵器が北海道に上陸したのか。
    そして、当時の本州との結びつきはどうであったか探求する。
    Ⅱ:調査の方法
     須恵器の製作された窯が存在した地域を調べる。また、その地域と北海道との交易についてインターネット上の資料や文献等を基に調査する。
    Ⅲ:調査の結果
     もともと須恵器は、約1,400...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。