桐壺の死は、季節の風物などが関係していると思われる。
まず花から考えると、桐の季節は夏であり、5月ころに咲く。花期は短く1週間ほどで消えてしまう。気が付くと何気なく咲いていて、また何時とはなしに消えて行く・・・何事も無かったかのように。それだけに印象に残る花である。何とはない始まりとそして終わり・・・哀切こもる、はかない残像をのこすので、桐壺の人生を表すのに最適である。それゆえに、源氏物語のスタートになるのだろう。
次に、夏は、梅雨の季節であるということ。梅雨と言ったら露である。
万葉集に「ありさりて 後も逢はむと 思へこそ 露の命も 継ぎつつ渡れ」や後撰和歌集に「露の命 いつともしらぬ 世の中に」とあるように、露は、はかない命をあらわしている。
また、伊勢物語に、昔男がいて、手も届かないような女を長い間求愛していた。やっとのことで盗み出すかのように女を誘い、夜の暗闇にまぎれて女を背負って逃げている時芥川のそばを通ると草むらに露がきらきらと光っているのを見て女が「あれは何ですの?」と男に聞くが男は追っ手が気になり、無我夢中で走ってそれどころではない。そして、雷が鳴ってきたので鬼のいるところとも知らず、男は荒れ果てた蔵に姫を入れ、弓矢を持って夜が早く明けることを祈りつつ戸口をまもっていた。夜が明けてあたりを見回すと女の姿が無くなっている。夜の間に鬼が女を食べてしまったのだ。雷の音に女の悲鳴も聞こえなかった男は「白玉か なにぞと人の 問いし時 露と答へて 消えなましものを」と歌った男も、女と一緒に露のように消えたかったようである。
桐壺の死は、季節の風物などが関係していると思われる。
まず花から考えると、桐の季節は夏であり、5月ころに咲く。花期は短く1週間ほどで消えてしまう。気が付くと何気なく咲いていて、また何時とはなしに消えて行く・・・何事も無かったかのように。それだけに印象に残る花である。何とはない始まりとそして終わり・・・哀切こもる、はかない残像をのこすので、桐壺の人生を表すのに最適である。それゆえに、源氏物語のスタートになるのだろう。
次に、夏は、梅雨の季節であるということ。梅雨と言ったら露である。
万葉集に「ありさりて 後も逢はむと 思へこそ 露の命も 継ぎつつ渡れ」や後撰和歌集に「露の命 いつともしらぬ 世...