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万葉集で検索した結果:43件
夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。 この七夕ものがたりの内容は「機織仕事をしていた織女が、牽牛と結婚した途...
文学の合格済みレポートです!
国語史の時代区分と国語史の必要性と価値について、述べています。
万葉仮名と音便の発生について(合格対象分)
『万葉集』全二十巻の概略と一、二巻の配列上の特色についてであるが、まず、概略から述べる。『万葉集』は、一巻から十六巻の第一部と、十七巻から二十巻の第二部に分類することができる。第一部は、天平十六年(七四四)までの歌が収められ、相聞、挽歌、雑歌の部立がされており、すべてではないが年...
『日本書紀』記述から、有間皇子の変についてみてみたい。ことのきっかけは斉明天皇が牟髏の湯に行幸に出、その留守官を任された蘇我赤兄の讒言による。赤兄は皇子に大きな倉を建て民衆の財産を集めた。莫大な費用を使い長い水路を造った。船で石を運び丘を造った。という三点を天皇の失政として皇子に...
2022年度までのレポート課題によるものです。加藤周一氏の『日本文学史序説上』を基礎とし、大陸文化の「日本化」された結果が万葉集と古今集にどのように表れているか考察しています。
序 有間皇子自傷歌は、実作か仮託かの問題を中心に、歌の内部にあっても、一四一番歌では「ま幸くあらばまたかへり見む」の表現に、悲劇性を見出だすことができるか否か、また一四二番歌では「椎の葉に盛る」の表現が食事を示すか、あるいは神饌かというように、現在まで多くの問題を抱えている。さら...
私は額田王と大海人皇子の贈答歌のうち二一の歌に絞って、二人の関係、歌に込められた想いを調べた。以前は愛し合っていた二人だが、額田王は天智天皇に仕えてしまった。大海人皇子はどのような気持ちでこの歌を返したのだろうか。また、この歌はなぜ雑歌に分類されているのかを考えた。 二一 紫...
上代文学の特質とはなにかということを『古事記』、『日本書記』、『出雲国風土記』そして『万葉集』を中心に考えたい。まず、それらの作品の表記方法について考える。これらの作品は基本的に全て漢字表記で書かれている。かな文字が発明されていない時代のことであるから当然であるが、その表記方法は...
「まし」と「非現実」 ~万葉集における「ましものを」の研究~ <はじめに―「まし」の性質> 「まし」は一般的に推量の助動詞とされ、多くは事実に反する推量・意志・希望などとして「反実仮想」の意味でとられる。 「まし」はしばしば「む」との対比によって説明される。両者の共通性は、推量の...
日本語の表現1 平成二十年 -- 選択疑問文「AやBや」における係り結び はじめに 係助詞「や」「か」の違いの明確化を試みる研究は多々みられる。しかし、このような研究からは、それぞれが係り結び構文である必要性は見えてこない。係り結びという特殊な技法を使うからには、そこに何らかの...